通知表あるある。「あともう少しがんばれば、算数が3になるのにね。」「体育が1だから、体育をがんばろう。」など。
もちろん2が3になった方がいいですし、当然1はない方がいいです。
ただ、よく見ると2→3にあがった教科があったりとか。
あるいは体育の1だけど、音楽と図工は3をとっているとか。
そういう子どもの「がんばりや良さ」よりも、
「できるようになってほしいこと」や「出来ていないこと」にスポットを当ててしまうことがあります。
たまねぎも、かつて通知表を渡すときは、ネガティブな項目に目を向けて、そこをカバーできるアドバイスをしていました。
ここで考えてほしいのは、では何のためにネガティブな項目をカバーする必要があるのでしょか?
学校の成績が良かったからと言って人生が豊かになるとは限りません。
むしろ人生においては、何か「特技」や「突き抜けたもの」があったほうが、人材として重宝されたり、活躍できる機会が多かったりするように思います。
だから、必ずしも3にならなくてもよい教科があって、
極端な話、たとえ1があったとしても、その子が輝く何かがあったら、「1をほったらかして輝く3に相当するものに力を注ぐ」こともまた正解なのです。
なぜなら、人はみんな少なからず「特性」をもっているからです。特性については、また別の機会で紹介するとして、「特性としてできないこと」が人にはあるので、そうなるとこれはもう「個人の努力ではどうしようもない領域や教科」があります。それなら苦手な1を2にするよりも、好きや得意な教科の2を3にする方が楽しいし効果的です。
学校は人格の完成を目指すため、まず人格の完成に必要と思われる力を平均的に育てるようになっているのだと思います。だから、できないものがあるときは、そこにスポットを当てるのかもしれません。
でも、人格の完成って何ですかね?学校の成績がオール3とれること?
社会に出てオール3とってる人が活躍しているかというと、そうじゃない場合もあります。
不登校で1ばっか取っていた人でも社長になる人もいるし。インフルエンサーになって世の中に影響与える存在になります。
もちろん。学校では成績がよくで運動できて、社会高い方が良い子となりますが。
だからといって、それができない子が悪い子なわけでもなければ
将来、活躍できないわけでもありません。
今、子育てて「なぜウチの子は○○ができないんだろう?」
と悩んでいる方がいたら、こう伝えたい。
「あなたの子は、かわりに突き抜けた何かをちゃんともっています。だからそれを見つけて伸ばしてください。別に3とれなくても大丈夫。鉄棒できなくても、足早くなくても人生的には何の支障もない。算数はちょっとできた方がいいけれど。悪いところばかり見て、子供を責めないようにね。かつての自分に似ていて苦労してほしくないって思ったとしても、違う人間だからその子の良さを大切にしてほしい。平均に育たなくてもよくて。でこぼこでいいと思う。その代わり、でこぼこの「山」の部分をチョー伸ばしてあげてほしい。絶対にその子の自信になるから。」
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