「宿題」の考え方 → 宿題の主体は保護者?
宿題は、ストレスだと思いませんか?
子どもにとっても。
大人にとっても。
宿題からどうすれば、解放されるのでしょうか・・・
宿題は、
やらなくてはならないものでしょうか?
やった方がいいものでしょうか?
やらなくてもいいものでしょか?
正解は、、、
全部です。
そもそも宿題は、家庭学習です。
普通教育を受けさせる義務がある範囲において、保護者は学校に行かせる義務があります。
しかし、宿題は義務ではありません。
なぜなら「家庭学習」だからです。
だから、保護者が「やらなくてよい。」
と考えるなら宿題はやってこなくてもよいですし、
保護者が「やらなくてはならないもの。」
と考えるならやらなくてはならないもの。となります。
宿題を出しているのは学校ですが、実は宿題の主体は家庭=保護者なのです。
つまり宿題を保護者がどう考えるかということなのであります。
Qなぜ宿題を出すのか? A「魚の取り方を教えているから」
単純に練習量が学校では足りないからです。
学習の基礎となる「読む」「書く」「計算する」は、学校だけでは足りません。
特に最近の学校教育はは、「学び方を教えて子供が自ら学ぶ」スタイルに変わってきています。
もう昭和、平成の「先生が一斉指導で教え込む」時代ではありません。
「魚を与えるのではなく、魚の取り方を教える。」なんて表現もあります。
社会に出て生きていくのは、子どもです。
だからこそ社会でも生きていけるように「魚=答え」をあげるのではなく「魚の取り方=答えの出し
方」を教えるのです。
「あ~、答えがあることばかり教わってきたよ~。」
という歌ありますよね(笑)。中学校の合唱でも歌うやつ。
答えのないものでも、答えの出し方を知っていれば、子供が自分なりに答えを出せるようになる。
そんな子供を育てることを国は目指しているわけです。
長くなりましたが、そんなわけで答えの出し方を中心に押しているため、単純に練習量が足りません。
教育の質を高めようとした結果、練習量がさらに足りなくなっています。
それを補うのが「宿題=家庭学習」です。
宿題は、「練習量」を確保するためのもの
そもそも、学校だけでは学習量が足りないのです。
そして、教育は学校は行いますが、保護者も子どもの教育を行います。
学校で足りない学習量を家庭で補ってもらうのが、宿題です。
なぜなら、教育は学校と保護者がタッグを組んで行うものだからです。
そう。実は、教育はシングルマッチではなく、タッグマッチだったのです。
だから、宿題は学校が出して、家でやってくるとなっていますが、これはタッグマッチなので
保護者は「宿題は学校が出したのだから、学校でやっているかまでみてほしい!」のスタンス
は間違っているのであります。
そうはいうけど、実際宿題を見る暇がない!
ということもありますよね。
子どもが変わる のではなく 親が変わる
こうして、最初の話に戻ります。
宿題がストレスになっている場合はどうするか。
それは、結論、「保護者がどう向き合うか。」で決定されます。
「うちの子が宿題をやらなくて、イライラして困っている。」
のであれば、「子どもを変える」のはなく「親が変わる」必要があります。
親がいなくても宿題を自分でやってくれる子はちょーーー立派です。
そんなの普通ではありません。
もう1回言いますが、親だいなくても宿題をやってくれる子供はちょーーーー優秀です。
「えっ?自分も子供の時、親に言われなくてもやっていたよ?」
というあなたも、ちょーーーー優秀です。
宿題のスタンスとして、ワタクシたまねぎは、こう考えております。
「親が見てなきゃ、子どもだけでは宿題はできない。」
だから、宿題をやらないのは、子供が悪いのでないのです。
本当に宿題をやらせるなら親が変わることが必要です。
脱 宿題ストレス
以上のことを踏まえて、保護者が宿題とどう向き合うか。です。
宿題は、「その日のうちに必ずやらなくてはならないもの。」ではありません。
宿題は、「その日のうちに、終わらせることが理想。」というものです。
だからこう考えるものありです。
・宿題は、その日の内に出さなくてもよい(何日かかけてやってもよい。)
・宿題は、全部やらなくてもよい。
これは、ありです。
この考え方をすれば、宿題が終わらない地獄でケンカになるようなこと(=宿題ストレス)もぐっとへ
るはずです。=「脱宿題ストレス」
ちなみに、宿題をやらせるちょっとしたコツもありますが、それはまた別の機会にお伝えできればいい
なと思います。
最後に。
もし、宿題の量を調節してその日のうちにやれなかったり、やる量を減らした時には、連絡帳にそのこ
とを書いてあげるようにしましょう。
そうしないと、担任と子供がもめてしまうことがあるので。
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