「向き合う」は お互いにしんどい?
中学校教師をしていた頃は、よく子供と向き合うように!と指導されたことを思い出します。そのころ熱血教師だったたまねぎは、子供にがっつり向き合い、子供のために一所懸命に指導していました。しかし、なぜか子供にわかってもらえなかったり、子供とうまくいかなかったりすることがありました。「今はわからなくても、将来きっと子供たちはかわってくれる!」という思い込みで指導をしていた若き日を思い出します。
子どもに向き合うとは、どういうことなのでしょうか。
子供と向き合うは、言葉通りに捉えると、子供の対面に立つこと。子供がしていることを正面から見たり、あるいは子供の言葉を正面から受け止めたりすることだと思います。子育てをしていれば、子供に幸せになってもらいたい、立派な大人になってほしいという思いから、子供の間違いを正し、よりよく成長できるように、たくさんの言葉をかけていくのは親として当然であり立派なことです。
しかし一方で、「向き合う」は、向き合っているがゆえに、子供のすべてが見えてしまいます。すると、何でも直そう、もっとこうした方がいいと子供への要求がどんどん高くなっていき、子供の思いが置いていかれてしまいがちです。また、向き合っているうちに、必死になったり余裕がなくなったりして、向き合うことに疲れてしまったり、どうしてこんなに向き合っているのに、我が子は期待に応えてくれないんだろうと落胆してしまうことがあります。場合によっては、必要以上に子供に厳しく接してしまったり、気が付くと子供を説得して自分達の思う方向に子供を成長させようとしたりしてしまいます。もちろん、子供が明らかに間違えた考え方をしている時は、諭したり、説得したりすることは必要ですが。
つまり「向き合う」は、相手のすべてが見えているが故に、色々なところが気になってしまい結果的に子供を直そうとして自分が疲れてしまったり、気が付かないうちに子供自身の気持ちをないがしろにしてしまう危険性があるのです。若き日のたまねぎがそうであったように。
では、どうすればよいのでしょうか。
次回、「子どもに寄り添う編」でお伝えできればと思います。
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