
不登校児は、行事の時だけ学校に来るな
っていう、SNS投稿が、あるアプリに載っていました。
2~3万件反響が載っていました。
ビックリしたのが、賛否両論だったということ。
「そう思う。だって、こっちは色々準備しているし、色々我慢しているのに行事のおいしい
ところだけ来るなんてずるい。」
「行事これるなら、日ごろの学校に来いよ。」などなど。
うぅ~ん。
そう思うのかぁ。
が、たまねぎの感想です。
そして
「不登校になってみれば気持ちがわかるよ。」
「そうだよね。ごめんね。明日から来ないね。」
みたいな返事が書いてあり 何ともいたたまれない気持ちになりました。
このやりとり。
誰か幸せになるのか・・・。
と思いつつ、世の中のまだまだ多く人が「不登校のしんどさ」を理解していないのだと驚きました。
毎日、学校に行くのは、当たり前?義務?偉い?
この話題はそもそも「学校に行くこと」が前提の話です。
が、そもそも学校に行くのって
当たり前なのでしょうか?
義務なのでしょうか?
それとも偉いのでしょうか?
他の答えもあるかもしれませんが。
学校に行くのは当たり前?
とりあえず、日本で学校に通うのが当たり前になってきたのは、明治時代の学制が公布された辺りで
勉強ができることは幸せなことであり、農家にとっては迷惑なことであり
まぁ~、今とは価値観が違います。
今はどーでしょう?
学校に通うのは「当たり前?」では、なくなってきているように感じます。
昭和、平成あたりは、学校に行くのが当たり前だったように思いますが、令和あたりからは
多様性の影響からか。当たり前ではなくってきているかなと。
学校に行くのは義務?
では、「義務」についてです。
「義務教育」って言いますけど、この義務は子どもにかかっていないのです。
義務を負っているのは保護者です。
だから、保護者が、子供を学校に行かせる義務があるだけで、子どもに義務はないのです。
子供にあるのは、教育を受ける「権利」の方です。
しかもですね。
正確には「普通教育を受けさせる義務」
なので、小学校、中学校に通わせてください。という義務は存在しないのです。
まぁ、「普通教育」に当たるのが、日本の場合6年の小学校、3年の中学校にあたるので、そこに通わ
せるのが、義務になるのですが、考え方を変えれば、別に国公立のがっこうじゃなくてもフリースクー
ルで「普通教育」を受けさせれば義務は果たせているし、何なら卒業証書は学校に一日も通っていなく
ても発行されます(笑)
だから、小学校、中学校に行かなくては行けない義務はありません。
少し屁理屈かもしれませんね。
学校に行くのは偉い?
じゃあ、学校に行くのは偉いのか?です。
結論から言うと「偉い」と思います。
学校に来ている子は偉いし、まぁ~色々なことによく耐えてがんばっています。
だって、当たり前のように学校に行かせられて、やりたくもない勉強して、気が合わない子とも
一緒に生活して、そして、きまりに縛られて1日過ごすですから。
だから、学校に来て1日過ごせている子は、たまねぎ個人としては偉いと思います。
かといって、不登校の子が偉くないと言っているわけではありません。
行事だけ来る子を「許せない」わけ
それは、学校に来ている子も「本当は学校に来たくないけど、がんばって来ている。」
からなのだと思います。
やりたくない勉強はあるし、気の合わないクラスメイトや先生がいて、食べたくない給食があったり、
あるいは、静かに座っていることが苦痛だったり、やりたくない行事(持久走とか?)をやったり、な
どなど、色々不満はあるけど、みんな渋々自分を色々納得させてがんばってきている。
だから、行事だけ参加したり、学校に来ないで放課後だけ友達と遊んだりしている不登校の子が「許せ
ない」んですよね。
根の深さ・・・
どうしてそんな風に考えてしまうのでしょうか。
もっと優しい世の中になればいいのに。
と思います。
この問題。
けっこう根深いところにあるんじゃないかなー。
とたまねぎは思うのですが、それについては、またの機会に書きたいと思います。
とりあえず、誰にとっても、もう少し生きやすい世の中になってほしいなぁと思います。

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